2010.02.18.

銀座と道路と洋菓子と

countdownkabukiza

さよなら公演
再び参加!
またも2月公演になったは
偶然
御座居ます(笑)。
おかしなイトコ
大伯母SANとの
前回と同じメンバーです♪


残り72日かぁ…。


今回は夜の部で、勘三郎だったのね。初!でした、板の上の彼。
(たぶん。他の劇場で観劇にいらした彼にはたまに会ってる気が…)
LASTに向けて演目役者賑わせてる感じで、
たかおChanはっしーみつごろSAN左團次様も出ておりました(笑)。

演目は“高杯”“籠釣瓶”など。勘三郎SANの踊りは格別なんですね!!!
声がだいぶ枯れてらして、2つ目の演目の時は心配でしたが
次の痘痕役に向けて温存してたのかも?(汗)

そして、玉三郎再び。綺麗だけどデカい!!!
花道花魁道中してくるのとか超デカくてーーー(笑)。
勘三郎がまた小さいから余計にね(大汗)。

kabuki102.jpg






   こんな垂幕
   しばらく見れなくなる
   んですなぁ。4月公演、どっかで
   観たい気もします。


   最近、松竹づいてるね、と(笑)。



定式幕を後にして、有楽町に向かって銀座をそぞろ歩き。
まぁ、夕飯お弁当を食べたのでイイとして、お茶をしました。
ちょうどル・ブランが空いてたのでそのまま入店
銀座だから高いかと思ったら普通でした(笑)。新宿のは良く入るけどね。

大叔母SANの父親*曽祖父とその弟SANの話などを…。
うちのひいじいChanはいろいろやってた人らしく、
戦前石橋SAN(笑)と共にゴムを輸入し、地下足袋裏を付けるとか
(その技術権利は国に献上しちまったらしい。勿体無い!笑)、
詳しくは分かりませんが昭和通り開通に尽力を注いだとか、
そんな職人な商人だった様です。

で、その弟SAN。実は某凮○堂がまだ1つだった時のパティシエで、
ゴーフルを作った人の1人です。(ゴーフルのwikiには書いてないなぁ)
小さい時、そんな有名なお菓子を開発した人とは知らず、
図書館で洋菓子本を開いたら写真が載っててびっくりした記憶があります。

某凮○堂もまた、職人の集団だった為か利権問題に疎く、
暖簾分けの際も今ほどいろいろやらなかったのだと思うのですが、
総本店と言うモノが今はなくなって久しい状態です。

総本店がなくなる前、大叔母SANが偶然にそちらの娘SAN
知合いになったそうですが、とてもその時のおうちの状況を見て、
叔父SAN(弟SAN)が昔、お世話になっていたは言えなかったと…。
(wikiによる『夭折』だけではないそうですよ…)
最後の店主もまた、遊びに行くといつも生クリームを泡立てていて、
時間があれば美味しい手料理をご馳走してくれる、
お菓子を愛する職人気質な方だった様です。

職人も商売をするには世間の知識が必要になった時代だったんですよね。
今や当たり前ですが、会社には経営の能力技術の能力が必要。
そう思ったら、長寿庵とかってスゴイなーと思うのです。
あそこは暖簾分けをキッチリやっていて、系譜図もキチンとあるんですもん。
posted by: あでる 22:00 Comment(0) TrackBack(0) DIARY
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